1952-03-15 第13回国会 衆議院 労働委員会 第8号
二箇月で首切られたならば、一般失業保険の保険金はもらえない、それなのになぜ保険料を納めるのか、こういうお尋ねでありますが、これは御承知のように社会連帶の建前上、全部が保険料を出し合つてやる制度でありますので、その点はやむを得ないものだ、かように存じております。
二箇月で首切られたならば、一般失業保険の保険金はもらえない、それなのになぜ保険料を納めるのか、こういうお尋ねでありますが、これは御承知のように社会連帶の建前上、全部が保険料を出し合つてやる制度でありますので、その点はやむを得ないものだ、かように存じております。
そうするといわばそういう犠牲者、不幸な者の負担においてやるということが社会連帯かということになれば、これは社会連帶ということの通念に逆行するものだとわれわれは考えるわけです。その点については、政府ではやはりそれでよろしいと考えているのかどうか、その点もはつきり確かめたいと思います。
しかし私が今申しました社会連帶と申しますのは、全然首切られない人でも保険料を納めるということで、お互いの労働者が出し合うのだ、こういう意味において私は社会連帶ということを申し上げました。失業保険というものは、御承知のように労使お互いに協力し合つてやつて行く制度だ、こういう点でございまま。
社会連帶の観念はかような場合にも呼び起して、国民の道徳水準の高揚を連帶的になさなければならぬと存ずるのであります。新聞の公正な報道が、いやが上にも国民の注意を喚起しております。納税者は、血と涙の税金が汚職の種となつて消え行くことを悄然として悲しんでおります。 吉田内閣は、綱紀粛正を改綱の重要項目とし、第一次組閣以来、正しきを勧め、邪惡をしりぞける人事を貫いて来たのであります。
その第一点は国民の社会的訓練と道義心の高揚ということでございまして、遵法精神とか社会連帶観念といつたことが徹底しなくては、いかに制度が設けられましても実効がないと存ずるのでございます。それから第二の点は、この制度のため国民経済の生産費を高めない、コストを高めないという点でございます。
そうして一方国家がこういう責任をとる以上は、他方国民もまたこれに応じ、社会連帶の精神に立つて、それぞれその能力に応じてこの制度の維持と運用に必要な社会的義務を果さなければならない。」
これは全く古い時代の資本主義的な構想によつて考えられる賠償の規定でありまして、私たち民主党としましては、社会連帶主義を標榜いたしておりまする関係上、仮りに国に絶対必要不可欠な産業であつても、このために迷惑をこうむる国民が多数あつて、その国民を放擲して置いてよろしいという結論は我々はどうしても生み得ないわけでありまして、でき得ればこの法律案は、審議の過程において金銭賠償による損害賠償の原則を変えて、原状復旧若
附加価値税及び住民税の均等割におきましては、これは所得のあるとなしとにかかわらず、あるいは社会連帶説とでも申しますか、住民である以上は、また課税物件を持つておる以上は、收益があるといなとにかかわらず、国民として行政費の負担をなすべきだという観念が通つております。この二つの観念が相交錯いたしまして、中央では減税となり、地方では増税となるというような非難も受けなければならないわけであります。
社会連帶思想から考えましても、弱い者を助けるというような面から考えましても、あれはあのままで放任いたして置くことは誠に政治に甲斐性のない証拠でありまして、これ又自由党政府において責任を背負つて貰わなければならないところだろうと存じますので、ああいう問題、この頃は上野の地下道を抛り出されて、表で四千人が臭気芽々たる場所で寝ておるそうでございますので、努力しても努力してもできない階層に対しまして助けることは
それから第三の国民の社会的責任、「本制度は、社会連帶の精神を基盤とするもので、国民はその責任を自覚し、本制度の維持に必要な個人の社会的義務を果さなければならない」、——この問題でありまするが私はかつての経験から行きまして、この疾病に関する社会保障の制度は、地域制度で行くべきだ、職域的で行くべきでない。
なお第三に「国民の社会的責任」という言葉がありまして、社会連帶の精神を基盤とするということがうたわれておりますが、社会連帶という言葉は非常に多様な解釈があるのでありまして、たとえば現在でも日本の国で、ある政党は、社会連帶を大きな旗じるしとして掲げでおります。しかし、私は現在その政党が掲げておるような政治的な旗じるしとしての社会連帶という概念には、賛同し得ない一人であります。
さらに老人、寡婦、孤兒、身体障害者その他の生活困窮者に対する法的扶助の制度は、社会連帶の観念によつて一層拡充強化すべきであると唱えられておりまして、その一つの具体化といたしまして、今般の生活保護法の大幅改正があつたと考えております。
要するに目前の採算性にのみとらわれた経済的合理性にのみ終始して、社会的な合理性を包括したところの社会連帶主義に基く国民経済的合理性を忘れでおる。その結果、たとえば勤労者や農村や中小企業に圧迫が出て来ている。なるほど統制は撤廃した、撤廃したらここに出て来た経済は何であるかといえば、こく低い水準における停滯であります。池田大蔵大臣は安定であると言つた。
○中曽根委員 どうも私の申し上げるのがあいまいでのみ込めないのは非常に残念ですが、社会連帶主義とか修正資本主義というものは、当然地方と中央の権衡をはかれるが、自由主義は実力主義でありますから、これは都市が強くなるかも知れない。従つて木村国務大臣が現内閣におられるということは、地方にとつては非常な強味であると思います。もしあなたがおいでにならなければ、地方は非常に憂欝な気持に包まれるかもしれない。
法律の解釈は、いわゆる民法の解釈と同じ精神で解釈していいと思いますが、ところが実際の運用はどうかというと、社会連帶主義によつて解釈されておるということです。その結果、つまり村に來た割当はとにかく何らかの形で消化しなければならん。ここでは個人の権利義務というものは無視されておる。今日日本の社会は資本主義の社会なんであります。
それでは非常にいけないので、やはり社会連帶という思想から申しまして、お互いに助け合う(「税金だね」と呼ぶ者あり)という考えで強制制度を採つているわけでございます。(「大儲けだ」と呼ぶ者あり)
八千万國民がいかに考えるか、その考えを集約するところに私は政治の安定があると思うのでありまして、私はその考えにおきまして全國民が祖國の再建のために邁進し得る、そうして現在の苦しみを耐えてその再建に進み得るような態勢を見出すために、ここに社会連帶の意識とそうして政府の行き届いた社会公共への愛情、そうして行き届いた配慮が必要であろうと思うのでありまして、本予算がいかにも運営によつて決定せられる。
これは資本主義の個人経済に根ざしている大きな一つの欠点と存じますが、將來は一つ社会連帶思想を取入れまして、これを改革しなければならないと思います。
(拍手) そこで私が首相にお尋ねいたしたいことは、日本経済再建問題について、私は一つには社会連帶理念による修正資本主義的施策にあらずんば今日の経済危局は到底救えないのではないかということが第一点。
社会連帶から考えてこれらの子供に対し、同情し、謝罪しなければならぬと考え、その予防のために全力を捧げねばならぬと思います。
われわれは、この社会連帶性の観念を、大いにわれわれの生活の中に、われわれの政治の中にとり入れなければならないと思うのであります。お互いの謙遜なるところの反省と忍耐と、そうしてお互いの努力の上に初めて將來の光明が約束せられるものであるということを、私はここに強調しておきたいと思うのであります。
島村君の御質疑は、修正資本主義と勤労尊重、社会連帶、國民協同の理念との関連如何、こういう質疑であります。この問題は詳しく考えを申上げると際限のないことであります。又この席上において学者の学理論を私から申述べることは甚だ当を得ないと存じますが、併し修正資本主義の考え方については相当各方面の質疑もあり。
われわれは、あくまでも眞の民主主義を守つて中道を歩み、勤労を尊重し、社会連帶、國民協同の理念のもとに、生産の増大と分配の公正とを同時に実現せんことを企図するものであります。 わが國が一日も早く世界の平和國家群に参加することは、國民のひとしく熱望するところであります。